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第1部 第9章
 第4話 難産の虚弱児

 TR-63型トランジスタラジオが発売されて、やっとラジオの販売も軌道に乗ってきた1957年、井深はすでにずっと先のことを考えていた。
 その頃から、井深はしきりに「これからは、シリコン(けい素。半導体材料のひとつ)トランジスタの時代だな」という言葉を口にするようになっていた。察しの良い半導体部の技術者たちは「社長は、テレビをやる気だ」と薄々勘づいていた。半導体部長の岩間が「テレビ用にシリコントランジスタの研究をやろう」と、塚本に指示したのは、1958年の1月であった。

 テレビでは、ブラウン管の偏向用や映像出力用などのトランジスタはたくさんの電力を消費するため、かなり発熱する。そこで温度特性が良く、性能が安定したトランジスタが必要になる。それにシリコントランジスタを使おうというわけだ。ところが、シリコンにも欠点がある。

 開発は初めからつまずいた。高純度で欠陥の少ない“良い単結晶”を作ることが非常に難しい。温度制御装置、単結晶引き上げ装置設計の難しさなど、ゲルマニウム単結晶製造の比ではない。

 8月に入ると、塚本たちのトランジスタ作りの一助として、どういうトランジスタを作ったら良いかを調べるために、回路の研究も始められた。真空管のテレビならば、設計が終わった時点で、それがどの程度の性能のものか見当がつくが、トランジスタの場合は経験がないため、机の上の設計だけではうまくいかない。しかも、ラジオは音だけなので、少々悪い所があってもカバーできるが、テレビはブラウン管がついた測定器のようなものであり、少しでも悪い所があると、画面に現れてしまう。そのため、非常に厳密な条件が要求されることになる。

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世界初の直視型ポータブル・トランジスタテレビ“TV8-301”

 さらに研究と開発が進められ、やっとチューナー用に4チャンネルから12チャンネルまで受像できる高周波のゲルマニウムトランジスタが完成したのが、“TV8-301”が報道関係者に発表される、わずか1ヵ月前の1959年11月のことであった。

 “TV8-301”には、シリコンとゲルマニウムを合わせて、23石のトランジスタと、ダイオードが15個、高耐圧ダイオードが2個使われている。この中で新たに塚本たちの手によって開発された9種類のトランジスタが、水平偏向用や映像出力用、チューナー用などに使われた。

 これにより、ソニーのトランジスタ化テレビ技術とトランジスタ開発技術は、広く世界に認識されることになったが、製品はというと、こちらは世間の評判ほどには売れなかった。発売された1960年5月時点でも、テレビはまだ庶民にとって高嶺の花だった。価格(69,800円)の高い小型のテレビを買うより、「どうせテレビを買うんだったら、まず据え置き型を買うのが先だ」というのが、一般の考えであった。ポータブルタイプは、金持ちか、よほどの物好きしか買ってはくれなかったのだ。しかも、正直なところ、このテレビはよく故障した。“TV8-301”は、難産の末に生まれた虚弱児と言えるものであった。




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