title

第1部 第9章
 第3話 井深の初夢

 エサキダイオードを認めたのは、海外のほうが先だった。
 江崎は、1958年6月にブリュッセルで開かれた「国際固体物理会議」に、「エレクトロニクスにおける固体物理学」という題目で「トンネルダイオード」について講演するため日本を発った。会議では最初にアドレスといって、議長を務める人が会議の内容についてあらましを紹介する。ブリュッセルの会議では、トランジスタ発明者の一人であるショックレー博士がアドレスを行った。何しろ、その時出された演題は500くらいあったので、江崎も「自分の講演についても500分の1くらいは紹介してくれるのかな」程度に思っていた。ところが、よく聞きとれない話の中で、ショックレー博士がしきりに「エサキ」「エサキ」と言っているのだけが分かった。これには江崎のほうが驚いてしまった。ショックレー博士は、将来有望な高周波デバイスとして江崎の発明が大変有効であることを、世界中の学者に向かって大々的に言ってくれたのだ。「エサキダイオード」は、これで一躍有名になった。

 しかも「エサキダイオード」は、負性抵抗を持ち、またトンネル効果が非常に速い現象であることから、高い周波数の発振、増幅、高速度スイッチングなどの回路素子に利用することができる。たとえば、コンピューターの演算速度を上げることに応用できる。これこそ、アメリカの研究者たちが待ち望んでいたものであったため、大いに注目を集めた。

 この世界的な発見が、大会社でもなければトランジスタの研究所でもないソニーで行われたことに対して、真に評価されるべき点があったと言ってよい。
 より高周波のトランジスタが必要であるという会社の要求に応えようという技術者の意欲と、その製造過程に発生したトラブルの本質を突き止めてやろうという科学者としての目が必然的に結び付いて、結果として素晴らしい成果を達成することができたというところに、ソニーという会社の面白さがある。

pict
正夢となったポータブルテレビの製造
ラインを回る井深         

 1959年の年の初めに、社長の井深は週刊誌のインタビューに答えて、「私の正月の夢は、トランジスタテレビの出現である」と、抱負を語っている。この夢はその年の暮れ、世界初の直視型8型ポータブルトランジスタテレビ“TV8-301”を完成させることによって、正夢となった。
「“夢を現実のものにする”これこそソニーの真髄だ」。そういうふうに世間の大多数が思い、事実期待どおりの働きをソニーの技術者たちは果たしてきた。しかし、これは言葉でいうように簡単なことではない。

 ラジオとテレビでは、根本からして違う。一番の問題はトランジスタだ。トランジスタやダイオードといった半導体は、低電圧・小電流の回路には適するが、高電圧・大電流には向かない。したがって、高電圧・大電流回路の多いテレビでは、一からトランジスタの研究をやり直さなくてはならないのだ。ラジオとテレビで、どれほどの違いがあるかと言えば、テレビでは周波数で約100倍、電流で20倍の特性向上と、それと同時に電圧で10倍の耐圧を持ったトランジスタが必要になる。それだけテレビ用のトランジスタのほうが高性能でなければならないのだ。




2T7型トランジスタエサキダイオード hidari 井深の初夢 migi 難産の虚弱児
おむすび型のテストパターン



go