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第1部 第8章
 第3話 もの言った潜在力

 木原が、初めてアンペックス製のVTRを見た時、「これはもう膨大なものだ」という気がした。アンペックスの完成した画と、真空管をたくさん使った装置を見ただけで圧倒されるようであった。

 現物を見たのは、すでに設計に取りかかった後であった。それまで木原たちの手元にあった資料は、回路図の写真複写のみ。この貴重な写真を手がかりにして、解読しようと木原たちは苦労していた。しかも、回路図自体が鮮明とは言えないので、そう簡単にはいかない。何とか正確な資料を入手しなくてはと思いつつも、時間にせかされて木原たちは設計に取りかかっていた。

 動作と原理だけは、分かっていた。それに、頼りないながらも回路図はある。この回路図、肝心な部分はアセンブリー(組立部品)になっていて、カタログ番号しか書いてない。それに、不明瞭な部分も多く、回路図どおりにいかない所もある。たとえば、出力回路など同じような部分が各所にあるのに、こちらの回路ではこういうことをやっていて、他の所では違っているというように、各ブロックで全部というほど違うやり方をしている。最初は理由が分からず困惑したが、そのうちこれは設計者が異っていて、それぞれの設計者の好みであろうということに落ち着いた。これも、先に木原たちがテープレコーダーを手がけていなければ、とても解読できなかったであろう。

 機械のほうでは、ヘッド、モーターが問題であった。モーターは、外形と回転数だけは分かっていた。しかし、それ以外は全く分からず、不安に思って手を付けずに「そのうち、何か詳しい資料でも出てくるのじゃないか」と待っていたが、どうにもならない。結局、理詰めで計算をしていって、丸1ヵ月がかりで何とか設計し終えた。ヘッドは、前述のVTR調査会で分解したものを見せてもらったが、ただ見ただけであった。録音機を作っていた経験から、ヘッドの製造上のポイントをつかんでおり、ある程度独自の設計で進めていたのだ。だからと言って問題がないわけではなかった。まず、ヘッドの材料加工がうまくできない。次は、何度設計をし直しても工作がうまくいかない。その他にも、ボールベアリング、サーボ回路など、手数のかかる問題がたくさんあった。やっとのことで画が出たのが、1958年10月。井深が帰国する11月1日に、どうにか間に合った。それにしても、予想外に早く、たった2ヵ月で仕上げたことになる。直接開発に携わった部門をはじめ、全社一丸の協力体制でなされた成果であった。

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国産初のVTR。テープレコーダーで培った技術が活かされた

 こうして、国産初の名乗りを上げたソニー製のVTRであったが、テレビの信号を記録・再生できるようになったことを除けば、その再生画像の質は、ノイズや安定度など、決して満足のいくようなものではなかった。



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モルモットのソニー株式の上場と万代会長の死



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