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第1部 第8章
 第2話 国産初のVTR

 オーディオのテープレコーダーが完成して、これと同じ方式でやれば、画(え)が記録・再生できるであろうということは、電気屋であれば誰でも考えられることであった。ソニーは、1953年に高周波記録の極限としてテレビジョン信号の磁気記録装置に着目し、検討してはいたが、ちょうど半導体技術の開発に追われている時期でもあり、残念ながら研究陣を投入する余裕すらなかったというのが実情であった。

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木原が1953年に完成させた磁気記録装置(VTR)の試作機。
開発を続けていたなら世界初のVTRになったかもしれない。

 一方、世界に目を転じると、特に一生懸命やっていたのが、イギリスではBBC、アメリカではRCA、アンペックスなどだ。ところが、これらの会社で実物ができ上がってみると、それは大変な機械であることが分かった。というのも、VTR(ビデオテープレコーダー)はテープレコーダーと違って、テープを毎秒数メートルと非常に速く走行させなくてはならない。そして、テープを巻き取っていくと、どんどんリールの直径が大きくなり、これを止めようにも、慣性があるのでうまく止まらない。さらに、スタートする時の速度が一定になるまでがまた大変という、厄介な代物であった。井深もこの頃、米国でVTRを見ており、その時の感想は、「毎分2万回転で、しかも4ヘッドでテープをこするような機械では、実用にならないよ」というものだった。

 最初の実用機ができたというニュースが、1957年にアンペックスからもたらされた。これには井深たちもびっくりした。とても実用にはなるまいと思っていたものが、現実のものとしてこの世に現れ、しかも翌1958年5月には、NHKをはじめ民放各社がこぞって、導入し始めたのだ。

 アンペックスでできたのなら、われわれにもできないはずはない。「それ、やれ!」。井深の号令がかかった。「それ、やれ」と言うのは簡単だが、言われたほうは大変だ。VTRを任されることになった主任研究員の木原信敏は、井深から「できるか?」と聞かれて、正直に「分かりません」と答えたところ、「分からないんじゃあ困るよ」と軽くはねつけられてしまった。

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木原信敏

 VTRの出現は、ソニーならずとも電子機器メーカー各社の関心事であり、また放送業界からも早期国産化の必要性が強く要望されていた。そのため、東芝、日本電気、松下電器、ソニーの4社とNHKが協力し、NHK技術研究所内にVTR調査会を設け、国産化を目指して、アンペックス製VTRの共同研究が始まった。研究は始まったが、磁気録音機の高周波限界として常識的に考えられていた値の数百倍以上の周波数と、1桁も2桁も高い機械加工精度を取り扱うには、経験も乏しく、数多くの技術的困難が待ちかまえていた。

 一方井深は、国内各社のトップマネジャーたちの研修視察団の一員としてアメリカに旅立つことになり、出発前の8月、社内のVTR開発会議の席でこう言っている。
「アンペックスの先駆者としての努力と、その技術に敬意を表することはむろんであるが、われわれがアンペックスのVTRを試作することは、単に模倣することではなく、われわれの技術を少なくてもアンペックスの技術水準まで引き上げるための手段である。そのためにはVTRに付随するあらゆる技術を学び、これからに役立てていかなければならない。このことから、すべての電気回路、機械工作、材料の検討が、社内の技術を結集して行われなくてはならない」

 つまり、当面はアンペックスの技術に追いつくことが課題であるが、いずれはこれを追い越し、ソニー独自の研究を進めて、もっと小型軽量化していかなくてはならないと井深は考えていたのだ。VTRが実用化されたことは、すごい。しかし、アンペックスの機械は、2インチ幅のテープを使い、一抱えもあるようなドラムが入っている大がかりな装置だ。その上、価格も3千万円と、当時としては破格の値段だったのである。
「帰って来るまでに、とにかく画を出しておけよ」。そう言い残して、井深は機上の人となった。




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