title
第1話 外国製品一辺倒の打破第2話 国産初のVTR第3話 もの言った潜在力
第4話 モルモットのソニー第5話 株式の上場と万代会長の死



主な登場人物
●井深 大(いぶか まさる。ソニーの創業者、故人)
●盛田昭夫(もりた あきお。ソニーの創業者、故人)
●中島平太郎(なかじま へいたろう。元NHK放送科学基礎研究所所長、デジタル
 オーディオ研究の草分け的存在。元ソニー常務)
●木原信敏(きはら のぶとし。ソニーの技術開発の面における貢献者、元ソニー専務。
 現(株)ソニー木原研究所社長)


第1部 第8章
 第1話 外国製品一辺倒の打破

 ソニーの製品で人気があったのは、何もトランジスタラジオに限らない。ソニーの本領とも言える“音”の分野でも人気商品はいろいろある。“日本の生んだ世界の銘機”としてその名も高い、国産初のコンデンサーマイク「C-37A型」もそのひとつである。

 マイク設計者の中津留 要(なかつる かなめ)は、1952年に外国製に負けない高い評価を得たダイナミックマイク「F-600」を手がけて以来、「いつかは、自分の手でコンデンサーマイクを作ってやろう」と密かに思っていた。というのも、当時コンデンサーマイクも外国製品一辺倒で、特に音響を扱う人たちは、外国のマイクが一番良いと言って、日本製のマイクには見向きもしなかった。それには、それなりのわけがあった。日本は高温多湿の国であり、そんな所でコンデンサーマイクを作っても、ろくなものはできない。年中雑音を出して、使いものにはならない、というのが通説だったのだ。
「そんなことはない、国産でもきっといいものができるはずだ。誰もやらないのなら、それこそソニーの頑張りどころだ」。中津留は苦労を承知の上で、コンデンサーマイクの開発に取り組む決心をした。

 直接のきっかけは、NHK技術研究所の中島平太郎(後に、ソニー入社)が与えてくれた。中島もこの頃、NHKでコンデンサーマイクの試作に取り組んでいた。これは、マイクの振動板がセルロイドでできており、日本最初のコンデンサーマイクであったが、残念なことに完成までには至らなかった。中津留は中島から学び、ドイツのマイクを参考にして仕事を始めた。アメリカメーカーのマイクは派手だが、ドイツのメーカーのものはオーソドックスなものが多く、理論的に築き上げた製品であるという感じであった。

 最初に、一番苦労したのが振動板である。いろいろな材質のものを探してきてやってみたものの、どれもうまくいかない。そんな折、米国からポリエステルフィルムが日本へ入ってきた。「これは使えそうだ」と思ったものの、そのフィルムに極板をどのように付けたらよいか見当がつかない。そんな時、知恵を貸してくれたのは社長の井深だ。金(きん)を、真空中で蒸気のようなものにしてパッと飛ばしてくっ付けるというというもので、実験を繰り返しているうちに、これならいけるという感触を得た。問題が一つ解決し、振動板(膜)ができた。

pict
真空管式コンデンサーマイク・C-37A(1952年発売)

 次は、量産の問題である。コンデンサーマイクのプリアンプ用真空管にはノイズの少ないものが使われ、ドイツ製のマイクはAC701という3極管を使っている。これが高価で、1本7千円もする。こんなものを使えば目が飛び出すような価格のマイクになってしまう。これでは、普通の真空管の中から探すほかない。そこで選ばれたのが6AU6という5極管で、これを3極管として使うためにグリッド(電子の流れを制御する電極)をプレート(陽極)とつないで試してみたところ、うまく動作することが分かった。これで、何とか「C-37A」の原型ができた。

 それでもまだ、最後の苦労が残っていた。構造的にデザインをどうするかだ。プレスして型押しするということは、考えもつかない時代である。外観の構造も、手作りに近い。前面の網もハンダ付けで、二つ合わせにして仕上げ、何とか形になった。でき上がりを井深に見せると、満足した様子で「とにかく、ソニーの宣伝をしなくちゃいかん。真ん中に、横一文字にSONYと入れよう」という意見だ。このマイクは、NHKでも民放でもその後大いに活躍し、しかもテレビ放送の開始もあって、井深の言葉どおりに宣伝に一役買ったのだ。




外国製品一辺倒の打破 migi 国産初のVTRもの言った潜在力
モルモットのソニー株式の上場と万代会長の死



go