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第1部 第12章
 第5話 5番街のショールーム

 アメリカでのマイクロテレビ「TV5-303」発売に先駆けて、1962年10月1日、ソニーはニューヨークにショールームを開設した。ショールームは、ニューヨークの中心マンハッタン島の、目抜き通りフィフス・アベニュー(5番街)にあって、その5番街でもとびっきり良い場所に位置している。

 9月に入り、ようやくこれまでのビルが壊され、ショールームのための突貫工事が始まった。もうオープンまで1ヵ月しかない。
 これが、なかなかの難工事である。何しろニューヨークでは、ビルとビルの隙間が1センチもないので、敷地の外に工事場をつくることができない。セメントをこねる一方、その場でセメントを流していく。そうすると、最後にはセメントをこねる場所がなくなってしまう。建築場と工事場が、全く同じになってしまうわけだ。しかも、日本と違ってすべてを建築会社が請け負ってくれるわけではない。電気屋、左官屋、壁張り屋、ジュウタン屋がそれぞれ別会社で、バラバラに自分のペースで仕事をするため、全体の進行状況などつかみようがない。この火事場のような混乱を、さらに混乱させたのが、日米間の意思疎通の難しさである。英語のできる者でも、発音がうまくできるとは限らない。

 たとえば、こんなことがあった。東京から応援に駆け付けた本社デザイン室の人間が、壁にビニールの壁紙を貼らせようと、業者に向かってしきりに「ビニール、ビニール」と言うのに、全く通じない。発音が悪いのかと思って、今度は“ビ”にアクセントをつけて言ってみた。やはり駄目だ。次に“ニ”を強くして言った。それでも相手は分からないようだ。思い余って実際に本人の目の前にビニールを持ってきて「ディス」と言ったところ、やっと分かったようで、「オォ、ヴァイニィル」とおおげさに手を拡げて見せた。“V”と発音するところを“B”と発音したので、アメリカ人には通じなかったのだ。毎日がこんな状態で、オープン前の追い込みになると戦争のような騷ぎになってしまった。

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ニューヨーク市5番街にショールームが
オープンした           

 さて、オープンの日になった。オープニング・セレモニーにはニューヨーク総領事をはじめ400人を超す招待客が見え、170平方メートルとそう広くないショールームは終日ごった返していた。人気の的は、何といっても近日売り出し予定の「TV5-303」である。この人気は、オープニング当日だけではなかった。次の日から、1日7000人以上の人たちが「TV5-303」を一目見ようと押しかけてきた。ショールームには「いつから発売されるのか」といった問い合わせが殺到し、10月4日の発売と同時に、それこそアッという間もなく売り切れてしまった。

 「TV5-303」は、瞬く間にアメリカ中にブームを巻き起こした。これは当初、盛田たちが予想した以上の大成功であった。発売以降、こうしたアメリカからの要求に応えるために、東京サイドでは、「TV5-303」ができるそばから船積みしていたのだが、それも“焼け石に水”であった。
 しかし、こうした好況に浮かれてばかりはいられない。他メーカーの追従が始まろうとしていた。中には、すでにアメリカ市場にサンプル出荷まで始めているメーカーもあった。これらのメーカーを抑え、ソニーのマイクロテレビを世界に飛躍させるには、今をおいてない。11月7日、ソニーは大型輸送機をチャーターして、「TV5-303」をアメリカへ空輸することにした。

 このマイクロテレビのお陰で、ソニー・アメリカは一息ついた。それまでは、売り上げにいちばん貢献するテープレコーダーは販売代理店のスーパースコープ社が扱っており、ソニー・アメリカで売る主力商品といえば、トランジスタラジオしかなく、売り上げ額もソニーの国内販売の名古屋支店分くらいしかなかったのだ。




「IREショーで見つけたもの」“SV-17作戦”トランジスタがテレビを変えた
これは、内緒です hidari 5番街のショールーム



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